学会紹介
山口県体育学会の歩み
山口県体育学会は,1953(昭和28)年,山口大学の教養部と教育学部に籍を置く数名の体育教員の尽力によって創設された。当時,山口県内の高等教育機関には,山口大学以外に水産大学校,山口県立山口女子短期大学,梅光女子大学,宇部女子短期大学が存在した。そして,それぞれの教養部に籍を置く体育教員が,順次会員として加わると共に,附属校の小・中学校の教諭を始め,高校教諭,県教育委員会の保健体育課の指導主事が加わった。山口県体育学会は,組織としては,理事会があり,数名の理事とその代表である理事長が全ての議事を審議してこれを運営した。当初から,会長は置かず,理事の互選によって理事長を選び,これが日本体育学会の山口県支部の代表を兼務した。山口県体育学会は,日本体育学会の山口支部も兼ねてきたが,現在は日本体育学会の協力学会の1つとして位置づけられている。
初代の理事長には,山口大学の教養部教官であった福井修治氏が就き,1955(昭和30)年11月に山口県体育学会会則を定めた。その後,会則は,幾度か改正されたが,学会の目的は,「体育に関する科学的研究並びにその連絡協同を促進し,体育学の発展をはかり,体育の実践に寄与すると共に,経験的交流の場とする」であり,その目的を達成するために,(1)研究発表会の開催,(2)研究会,講演会等の開催,(3)機関誌『山口県体育学研究』の出版,(4)その他の事業,が行われた。この目的は今も変わっていない。
研究発表会は,「山口県体育学会」として年1回開催されてきた。学会発表は,毎年,概ねシンポジウムや講演1題と一般発表数題から構成されている。学会誌『山口県体育学研究』は,主にその年度の学会発表や講演等を掲載してきたが,必ずしもこれに限定したものではない。
1978(昭和53)年,当時の日本体育学会における『体育学研究』の投稿規定を参考にして「山口県体育学研究寄稿規定」が作成された。そして,これに基づいて学会誌の編集がなされた。
1985(昭和60)年前半にはISSN番号を取得し,学会誌の体裁が整った。平成に入って投稿規定が見直され,日本体育学会の『体育学研究』同様に複数の査読委員による原稿の審査が採用された。発表者や学会誌への投稿者は,各大学の教員が中心であったが,県教育委員会と小中高校の教員からの投稿もあった。
1991(平成3)年に山口大学に大学院教育学研究科が創設されると大学院生が研究成果を発表する場ともなった。年1回開催される「山口県体育学会」では,毎回「日本体育学会の動向」が報告されている。その内容は,「日本体育学会総会」での報告や議事,あるいは日本体育学会のニュースである。
山口県体育学会は,主として大学教員を中心にして,日本体育学会の支部として活動する半面,山口県教育への学術的啓蒙と体育実践の場として貢献した。学習指導要領の改訂や国民体育大会の県内開催が決まると,授業研究の発表やシンポジウムを開催してこれの普及啓発を図ってきた。
昭和60年代は,小学校,中学校,高等学校の会員が多く,大学を含めて130名程度の会員数であったが,現在は,小学校,中学校,高等学校の会員が減り,大学と高等専門学校の教員が主体となって40名余りが会員として活動している。
現状における活動は必ずしも活発とは言えない面があり,学会の活性化が課題となっている。
(本稿は,日本体育学会60年記念誌,第4章 支部・専門分科会の歩み 山口支部,岡村豊太郎著,167頁,2010年の記載をもとに作成したものです。)
山口大学教育学部
丹 信介(文責)